ブログ京都四条烏丸店

2019.3.4

暖簾について

暖簾(のれん)は、そのお店の個性や特徴を表現するためだけでなく、営業中であることを知らせる役目も果たしていますよね。現代ではそれらのうような用途で架けられている暖簾ですが、暖簾が使用され始めたもともとの意味や理由をご存知でしょうか?

本日は、暖簾についてお話させていただきます。

暖簾(のれん)とは

暖簾
暖簾とは、みなさんご存知の通り、目隠しや日よけのためにお店や部屋の境にかけられた布のことで、お店の場合には「営業中」ということを意味するためにも使用されています。そのお店の名前やロゴが書かれた暖簾も、多く見られますよね。

暖簾は日本独特の文化であり、もともとは目隠しや日よけの他にも風よけや塵除け、防寒などのために使用されてきました。鎌倉時代から室町時代の時期には、お店の商標や店名などが書かれた暖簾が看板としても使用され、識字率が上昇してきた江戸時代になると、文字が使われた暖簾も増えて、一般的になってきました。

現在でも、暖簾はお店の個性や特徴を表し、宣伝効果も兼ね備えた役目を持っていますよね。冷房や暖房の設備が当たり前となっている現代では、防寒などといったかつての役割はありませんが、営業の目印となったり、店先の看板や自宅のインテリアなどとしても、幅広くし酔いされているのです。

暖簾の色について

暖簾
現代では、染料をはじめとして生地や染色技術、設備などと、暖簾を製作するために必要なものは格段に進歩していますが、暖簾が使用され始めた時代では暖簾を製作する技術は低く、生地や染料などの材料に関しても限られていたので、その当時一番簡単であったとされる麻布の藍染めのものがほとんどだったようです。
しかし、徐々に技術が進歩すると同時に、染色しやすい木綿の生地が普及すると、様々な色の暖簾が現れるようになりました。

昔は、この暖簾の色の違いには意味がありました。例えば、商家や酒造業、呉服商の暖簾の色には、藍染による藍色や紺色が多く使用されていました。商家の暖簾が藍色や紺色出会った理由は、手堅さを重んじてたためであり、藍の香りには虫が寄り付か無いという特性から、酒造業や呉服商の暖簾にも藍染による藍色や紺色が多く使われていたのです。

「かちん染め」との呼ばれる柿色の暖簾は、吉原や島原などといった花街で最高位の遊女がいる店や最高位の遊女を招くことのできる高級料亭だけが使うことを許された特別なものでした。しかし、後にその伝統は崩れたため、かつては最高位の遊女を意味していた柿色の暖簾が、多くのあらゆる遊女屋でも使用されるようになり、やがて大きな料亭などでも架けられるようになったそうです。

店の名前などを白地の布にを墨書きした暖簾は、菓子商や食べ物屋さん、薬種商などで多く架けられていました。菓子商が白地の暖簾を使用したのは砂糖のイメージによるもの、薬種商が白地の暖簾を使用していたのは、砂糖を薬として使用していたことによるものだと言われています。

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。

ぜひ一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。

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