ブログ京都四条烏丸店
宇治川の鵜飼は夏の風物詩ですね
梅雨も明け、本格的な夏を迎えましたが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。
京都には納涼床を始め夏の風物詩と呼ばれるものが多く存在します。その中で、昔からの伝統を守り続け、夜に宇治川で行われる鵜飼は独特の漁法で魅力的です。
本日は、宇治川の鵜飼についてお話させていただきたいと思います。
宇治川の鵜飼
毎年夏になると必ず宇治川で鵜飼が行われます。
今年は平成29年(2017)7月1日から始まり、9月30日まで開催されているそうです。鵜飼は日本の数カ所で行われていますが、宇治川の鵜飼は女性の鵜匠が2人いるという特徴が、他の鵜飼にはないところだと思います。
鵜飼とは
そもそも鵜飼とはなにかご説明したいと思います。鮎などを獲るのがうまい鵜(ウ)という鶏を使って鮎を獲る昔からある伝統的な漁法です。中国や日本で行われてきましたが、現在は漁法ではなく、観光業として行われている場所が多いかと思います。ヨーロッパでも行われていたようですが、ヨーロッパの場合は漁業というより、スポーツとして行われていたようです。鵜を使って漁業を行う人を鵜匠(うしょう・うじょう)や鵜使いと言います。その格好はとても伝統的な装いで、風折烏帽子、漁服、胸あて、腰蓑を体に着けています。一人の鵜匠が操る鵜の数は漁法や各地の規模によって違います。一般的に知られる鵜飼は小舟を用いて漁を行います。この場合は一人の鵜匠が5~10羽ほどの鵜を操ります。一方、徒歩鵜の場合、鵜匠は1羽から数羽の鵜を操ります。
鵜飼の漁の時期は大体春の終わり頃から秋の初めまでです。鵜飼の漁は鮎漁のため、解禁日と同時に始まる場合が多いようです。鵜飼で使う船は平底の小船で、先にかがり火が焚かれます。この火には夜間の照明の役割以外に鮎を驚かせる役割もあるそうです。なぜ鮎を驚かせる必要があるのかと言うと、驚いた鮎は急に動き始めるので、鱗がかがり火に反射して光り、鵜が見つけやすくなります。鵜は紐を喉に巻かれていて、一定以上の大きさの鮎は飲み込めなくなっています。一定量の鮎を飲み込んだ鵜を一旦船に上げ、鵜匠が鮎を吐き出させます。鵜の喉の紐の巻の強さを変えることで、どのくらいの鮎を漁獲するかが決められるようになっており、それより小さい鮎は鵜が食べることになります。鵜匠は鵜のやる気もコントロールするため、時に休暇を与えるなど調整をします。鵜飼は期間中は満月の日を避けてほぼ毎日行われます。満月の日を避ける理由は、満月の光は強いので、鵜飼に大事なかがり火の光と混同して鮎が混乱するのを防ぐためだそうです。
宇治川の鵜飼の歴史
宇治川の鵜飼は、古くは平安時代まで遡る歴史の深い漁法です。
藤原の道綱の母が残した蜻蛉日記には、彼女が971年に奈良の長谷寺に行った際に川岸から宇治川の鵜飼の様子を見物していたときのことが書かれています。当時川には数えられないほどの鵜飼の舟が漁に出ており、各々かがり火を焚き、夜通し漁を行っていた様子が書かれているそうです。
当時は宇治川の風物詩ともいえるほど盛んに行われていたそうですが、平安時代後期に数が激減します。理由は当時の影響を大きくしていた仏教の教えから、宇治川での殺生を戒められ、だんだん漁ができなくなっていきました。そんなある日、宇治川での殺生、つまり漁を全面禁止とする太政官符が出され、一切漁ができなくなりました。西大寺の僧叡尊は漁具や漁舟を浮島の周りに埋め、日本最大と言われる十三重石塔を建てて魚霊を供養しました。こうして宇治川の鵜飼は衰退してしまいましたが、1926年に再興され、宇治の夏の風物詩として行われるようになったのです。
どうぞ皆さんご一緒に優美な船の遊びやお料理をお楽しみになってみてはいかがでしょうか。鵜飼は日本の伝統とも言えます。鵜匠と鵜の絶妙な技に魅了されること間違いないかと思います。
当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。
皆様のご来店心よりお待ちしております。