ブログ京都本店
京芋がおいしい季節となりました
秋の夜長、虫の音が心地よい季節となりましたが、お元気でいらっしゃいますか。本日は、京芋についてお話させていただきたいと思います。
京芋とは
京芋は海老芋とも呼びます。京野菜のひとつとして知られる根菜で、京都府内では主に精華町・京田辺市・舞鶴市などで生産され、府外の大阪府富田林市・兵庫県姫路市・徳島県・高知県などでも作られています。現在は全国シェアの8割が静岡県の旧豊岡村から旧竜洋町(現磐田市)にかけての天竜川東岸で収穫されており、日本一の産地となっています。ただ、生産量は農家の高齢化に伴い、年々減少しているそうです。
特徴として、粘り気に富みよく締まった粉質の肉質、優れた風味と少しの甘みがあり、煮ても煮崩れせず、色も変化しない点が挙げられます。このため、一般的なサトイモとは違って高級食材として扱われています。海老芋を使った料理としては有名なものに京料理の芋棒があり、他にも島根県の津和野町ではエビイモを使った芋煮が郷土料理として作られていますね。
この他、親から子へ次々と増えて成長することから縁起物としても重用されています。エビイモの中にも種類があり、茎が赤いものを「唐芋(本海老)」、茎が青いもの(黄緑色のもの)を「女芋」と呼ぶようです。江戸時代の安永年間(1772-81年)に、青蓮院宮(しょうれいいんのみや)が長崎の土産として持ち帰った里芋を仕えていた平野権太夫(芋棒で知られる京料理店「いもぼう平野家」の祖先)に栽培を託し、そこで採れた大型で良質の芋がエビイモの始まりとされています。「海老芋」の名もこの頃に名づけられ上鳥羽や九条で栽培がおこなわれるようになりました。1927年(昭和2年)頃、磐田郡豊田町(旧井通村、現磐田市)役場の農事監督官であった熊谷一郎が、昭和の不況対策のための新作物として導入したそうです。まず、豊田町気子島地区の農家によって試作され、1931年に出荷組合によって生産販売の基礎がつくられました。当時、この出荷組合は気子島部落の約50戸で構成され、作ったエビイモを大阪や京都、東京の問屋に出荷し、これらは10キログラムで1万円相当で取引されていました。
その後、気子島地区がエビイモ栽培によって高収入をあげていることが竜洋町豊岡(旧掛塚町)に伝わると、1938-39年にかけて竜洋町農業協同組合の組合長・伊藤弘がこれを栽培、良好な成績を得たのをきっかけに、この地域におけるエビイモ栽培が大きく発展したそうです。1945年以降、同じ土壌条件である磐田市寺分や、豊岡村広瀬地区にも急速に普及し、磐田市はエビイモの一大産地として定着しました。
京芋の主な産地と旬
生産量では静岡県が最も多いです。エビイモの生産量は700トンほどを作っている静岡県磐田市周辺がもっとも多く、そのほかにも大阪府富田林市等が知られています。
もちろん京都でも。
京の伝統野菜37品目のひとつとされ、現在は京都南部の山城地区と京丹後などで作られています。エビイモは晩秋から冬が旬です。
エビイモは9月中旬頃から出荷が始まり、11月から12月にかけておせちの需要などもありピークとなり、3月頃まで続きます。もっともたくさん出回り美味しい旬の時期は11月から1月頃です。
また、栄養面では、カリウムを多く含んでいます
ナトリウム(塩分)を排泄する役割があり、高血圧に効果があります。さらに、動脈硬化の予防に効果がありそうですね。
近年、コレステロールの生成を抑制する成分が含まれることがわかったそうです。
是非京芋をお召し上がりになってみてはいかがでしょうか。
当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。
皆様のご来店心よりお待ちしております。