ブログ京都本店

2019.10.16

京都の街は何故碁盤の目なのか?

「京都の街は何故碁盤の目なのか?」を、みなさんはご存知でしょうか?京都市内の通りは南北と東西で規則正しく直行していて、それはまるで「碁盤の目」のように見えますよね。

本日は、「京都の街は何故碁盤の目なのか?」ということについてお話させてただきたいと思います。

平安京の構造

京都
平安京(平城京とも呼ばれます)は、かつて日本の首都であった都市です。京都の街の碁盤の目のような通りは、西暦794年に平安京の街づくりの際につくられたのです。

現在も残る京都の通りは、西暦794年に日本の首都となった平安京の構造である「条坊制」によって、南北の通りと東西の通りが垂直に交わる碁盤の目のように整備されました。その後、天正の地割や京都市三大事業、都市計画事業などによって形を変えつつ、現在でも京都の中心部は当初のように碁盤の目のような道路配備となっているのです。

このように、京都の中心部の通りは東西・南北のいずれかを向いているため、一つの方角さえわかれば、道に迷ってしまうことはありません。その一方で、どこの交差点も同じような雰囲気であるため、「碁盤の目のどこにいるのか?」がわかりにくいという難点もあります。

「東入ル」・「西入ル」の意味

京都
京都の住所表記は非常に独特で、「東入ル」、「西入ル」などといった他県の住所では目にすることのない呼び名が使用されています。これらが意味していることを、ご存知でしょうか?

「東入ル」・「西入ル」という呼び方は、平安時代の中ごろから使用されていたと言われていますが、意味していることは単純です。
「東入ル」とは、「通りの交点から東へ行く」ということを表し、「西入ル」とは、「通りの交差点から西へ行く」ということを表しています。初めて見た時は、「京都の住所表記は難しい」と感じられるかもしれませんが、実はその逆で、わかりやすい呼び方なのです。

また、「上ル」、「下ル」と言う呼び方も京都の住所ではよく使用されています。これにも平安京が関係していて、天皇の正面に向かう方向(北側)に進むことを「上ル」と言い、天皇の正面から離れる方向(南側)に進むことを「下ル」と言います。

歴史的な建築物などで世界的にも名の知れた観光地である京都ですが、通りの名前や住所にも非常に興味深い歴史があることがわかります。京都にお出かけの際は、通りの名前や住所にもぜひ注目してみてください。

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。

ぜひ一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。

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