ブログ京都本店
鴨川床の歴史について
鴨川床の歴史は江戸時代にさかのぼり、その当時の人々が涼を得るための知恵として受け継がれてきた、京都の夏の風物詩です。まだエアコンなどがなかった時代に、少しでも涼しく快適に過ごすために考えられた先人の知恵ですが、現代では京都の風情を感じられるおもてなしの場として定着していますよね。
本日は、鴨川床の歴史についてお話させていただきたいと思います。
鴨川床の歴史は江戸時代から
京都市内の中心を流れる鴨川は、古くから市民の憩いの場としても知られています。特に、夏の納涼床は暑い京都でひとときの涼を楽しむことができる、夏の風物詩の一つともされてるのです。
「川床」の読み方に関しては、「かわゆか」や「かわどこ」などと、地域によって異なっていたり、「納涼床」と呼ぶ地域もあります。
京都の鴨川で涼を取る習慣は、平安時代からあったとも言われていますが、折り畳みの腰掛を並べて夕涼みを楽しむようになったのは、江戸時代になってからだとされています。
戦乱の時代が終わり、豊臣秀吉によって天下統一がされた頃が鴨川床の始まりだとされ、その頃に三条や五条橋の架け替えなどが行われました。鴨川沿いが見世物や物売りで賑わうようになると、富裕な商人などが茶店や見物席を設けたものが、現在の鴨川床の原型とも言えます。
そして、江戸時代の中期になると茶屋は400軒にもなり、床机の数を定めるなどというように、組織化も同時に進んでいったと言われています。
貴船の始まりは大正時代
大正時代になると、避暑地としても知られている貴船でも川床がはじまりました。
茶屋が貴船川に床几を出し、訪れた客が川に足をつけて涼しんだというのが始まりのようです。
自然豊かな貴船では、京都市の中心部よりも気温が低いため、夏の暑さから涼を求めて貴船川の川床を訪れる人々が訪れるようになりました。
京都の川床は「鴨川」、「貴船」の他にも「高雄」、「鷹ヶ峯」などが挙げられます。地形を上手に利用した天然のクーラーは、時代を超えて人々に親しまれている風物詩なのです。
現代では、川床は高級店ばかりで敷居が高いというイメージが定着しているかもしれませんが、カジュアルに楽しむことができるお店もあります。さらに、伝統的な京料理だけでなくイタリアンやフレンチ、アジア料理など、さまざまなジャンルのお店が立ち並んでいますので、ぜひお好みのお店を見つけてみてはいかがでしょうか。
当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。
ぜひ一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。